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自分基準で生きる

「ニーズに合わせることが正義だ」と経済社会の一部に組み込まれて

働くようになってから無意識に植え付けられているところがあった。

ところが「他者のニーズ」自体が、自分がよいと思わないことが多いために、

そのものに対して自信を持てないし、評価もできずにいたのではないか。

「自信がなさそうにしているのは演技なのですか」と聞かれたことが

あったのだけれども、部分的には演技、かもしれないが、その多くが

やはり他者が感じるように「自信がない」状態だったと思う。

それは例えば仕事そのものに自信がないのではなく、相手が自分に

求めている役割なり内容なりが明確にくみ取れていないということに

対しての自信のなさなのだ。

作ったものや、目の前にしている仕事自体に自信がない以前のところで

不安になり、その不安が相手に伝播する。それは間違いない。


うまくやっている人は、虚勢を張ったり、相手が明確には何を望んでいる

のかに焦点を置く前に「これをすることを要望されている」と決めつけるなり

思いこむことができる素養があるのだと思う。

しかし、他者に対して思いこむことはできないし、自分が相手をわかっている

ということがすべて妄想である、というスタンスで生きている私にとっては、

自分がすべて把握しているという仮想の立場からスタートすることはとても苦痛だ。


自分がいいと思うものを勝手に選んで作っていくのでよければその苦痛は

和らぐのに・・・。どうせニーズなどくみ取れやしないのだから、いっそ自分の

理想を追求すればいいのに。

評価についても期待することが無駄だ。

自分がいいと思ったものを他者がいいと思ってくれるかどうか、というのを

期待するとまたそもそもの不安要素と同じ帰結になる。

なにしろ、他人がいいと思う基準が自分のいいと思うものの基準となんら

関係ない。たまたま一致することがあるにしても、だ。

どちらにしても不安を持つのであったら、自分を優先すればいい。

自分がいいと思う道で行くのが一番だ。すなわち自分基準。

たぶん、これからはそうなっていくんだろう、と思う。


 
 
 

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